代表挨拶

代表挨拶

TODOROKI RYUICHIRO
1980年群馬県生まれ
2003年立命館大学経営学部卒

群馬県高崎市白銀町9 白銀ビル 3階

プログラマ、システムエンジニアとして、財務会計等の業務ソフト開発、ERP導入を経験。
海外プロジェクトを経験し、海外会計士の財務会計科目を取得したことで、キャリアアップを目指し、コンサルティングファームへ入社。

IT知識を活かした会計コンサルタントとして、ビジネスプロセスリエンジニアリング、ITサービス導入及びプロジェクトマネジメントオフィス支援等、様々なプロジェクトを経験してきたが、在籍中に視覚障がい者手帳を取得。

病気の進行により、目の前の世界が変わってきていることを実感したため、患者団体に入会し、病気を抱えた方々の役に立ちたいと思いから、初めて障がい者枠で製薬会社に入社。

障がいの有無に関わらず、多様な人材が活躍できる場を創りたいと思い、創業。

患者団体の当事者や家族が、葛藤のなか、次に進む決断と行動をすることに強く共感しました

私は、34歳の時に、キャリアアップを目指し、コンサルティングファームに転職しました。
その2年後に、身体障がい者手帳(網膜色素変性症/視野障がい2級)を取得し、重度障がい者になりました。

それでも、障がいをクローズしたまま、自分なりに工夫し、職務を続けてきました。
しかし、30代後半からの数年間で、病気の進行が顕著になり、退職(一般枠)を決意しました。

病気と真剣に向き合い、私と同じように、病気を抱えた人たちの役に立ちたいという思いから、製薬会社に入社しました。
そして、同じ病気を抱えた患者団体に入会してから、様々な方々と出会うことで、新たな価値観が形成されました。

私は、人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)という、ことわざを胸に、物事を長期的に見るようにしています。
これは、「一見、不運に思えたことが幸運に転じたり、その逆だったりすることがあるので、幸運か不運かは容易に判断しがたい」という、たとえです。

私は障がい当事者として、自分自身が不幸だと思ったこともあります。ただ、障がいを抱えたからこそ、自分にとって、やりがいのあることに情熱を持って取り組むことができていると感じています。

事業活動を通じて、障がい当事者であることが、幸運だと思えるよう、取り組んでいきたいと思っています。同様に、企業とそこで働く障がい者を含めた多様な人材が、長期的に活躍していけるよう、貢献していきたいと思っています。